竹格子

竹格子

6.02.2011

東日本大震災復興支援プロジェクト 庭Japan

久しぶりの更新です


5月8日から二週間宮城県石巻市のボランティアに参加してきました


東京のN-treeの長崎さんの呼びかけで今回のボランティアが始まったのですが、行くまでは悩みました


行くまで自分がどういう感情になるかわからなかったし、自分ができることが本当にあるのだろうか?どういう思いでボランティアに行けばいいのか?

現地に行かないで考えても、いっこうに自分の中での腑に落ちるところがなく、心にもやもやがずっとありました


僕は迷ったら行くことにしてる


やっぱり経験しないとわからないことがあるから


行かなければ何も始まらないし、行ってからちゃんと考えようと思いました


そして現地に着いた時、衝撃だった





                  


津波の恐ろしさを体中で感じた・・・。







今まで生きてきて見たことのない光景だった


そこに民家があったはずなのに何も無く


これが日本で起きていることなのか?と思うほど、普段自分が生活してる景色とのギャップがありすぎて受け入れるのに時間がかかりました


写真に写ってる学校の上は丘で津波の被害がどこまでかハッキリとわかる


丘の上の人たちは津波の被害がなく、天国と地獄をみてるようだった




僕はたちがやった作業はただひたすら瓦礫を出すこと


この場所に瓦礫をなくすということに向かってみんな一生懸命でした









ここまできれいになりました


















ここの場所は二週間のうち一番作業した日にちが長くて、思い入れのある場所になりました


家の方といっぱい話したし、お昼御飯まで出してくれた


旦那さんと話したことで一番印象に残ってる言葉がある


「津波の被害があって、家の敷地を見渡した時、どうやってこの瓦礫たちを片付けよう?と思った。果たして自分達で片付けれるのか、業者に頼んでも自分の持ち合わせてるお金でできるはずがない。その時はボランティアという選択肢はこれっぽっちもなかった。そう思ってる時にボランティアさんが来てくれて一生縣命やってくれるんです。それも自分の敷地かのように綺麗に・・・。本当にうれしかった。本当に感謝してます。私には小さい孫がおります。私は死ぬまで孫たちに言い聞かせようと思っています。そして次もしどこかでこういう事態が起きたらボランティアにみんなで行きたいと思います。やっていただいた人たちに返すのじゃなく、どこのだれかではなく、関係なしに。それが恩返しだと思っております。」

目に涙を浮かべながらお話してくれた



僕はこの時、人は助け合って生きて行かなければならないと本気で思った


そんな当たり前のことがすごく大切なことだと教えてくれてるようだった


それぐらいその言葉には力があった


僕も今回は人を助けに来たという大それた考えで来たわけじゃなく、ボランティアとはどういうものなのか?を体験し、考えたかった


ここに来てよかったと思う


やっぱり身を置かないと気付かないことがたくさんあったし、自分はこうして行きたいという考えが持てるようになった


少し前進できたかな(笑)















みんなで撮った写真


僕はこの写真が好きです


みんなすごくいい顔してる


家の方に

「またいつでもおいで、次来た時は畳も敷いて泊まれるようになってるから、ご飯食べにおいで」

って言ってくれた


なんかすごくうれしくてまた来たいと思った


楽しみが増えました


今回自分にとってすごく大切な二週間でした


これも誘ってくれたN-treeの長崎さん、m28eの古川さんそしてご一緒させて頂いた平山庭店さん、親友HOさん、高田造園設計事務所の皆様、松浦造園さん、文造園事務所さん、萬葉さん、旅象さん、応援してくださった皆様


本当にありがとうございました


まだ庭JAPANの活動は続いております


皆様の応援引き続きよろしくお願いします

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