行った僕が感じたことを今情報が多い中で僕の周りにいる人たちが少しでも身近に感じてもらえたらと思い、ここに書くことにしました。
原発事件での日本が抱えてる問題はとても複雑でドロドロとした果てのない底なし沼のようです。
しかし大阪に住んでいると福島で起きていることが少し遠くの事に感じ、リアリティーを感じることが難しいです。
それでも意識はしますが、現地に着いた時大阪でいくら考えたってだめだと僕は思いました。
住んでいる人たちと同じ心境に到底なれるはずがないけど、今まで感じたことのない思いやなぜ?という疑問が無数に生まれてきました。
今南相馬は復興も始まっていて、工事車両者や工事の人たちもたくさんいます。
沿岸部以外は普通に生活もされていていますが、その一方で複雑な問題も抱えているのも事実です。
作業風景 黒いトンパックに汚染土を入れて仮置き場に集めます。
これからどんどん処分のできない汚染土が大量に出てきます。
除染後の風景。こういったのが至る所で見ます。
五台山という線量が高い山にも少し登りました。
山は風に乗った放射能を受け止めるので山の中や麓は線量が高いみたいです。除染となると木を全て切って表層の土を何センチか取らないといけないみたいですが、不可能に等しいです。
山では植物、透き通るような水、差し込む光がとても綺麗です。空気すら美味しいと勘違いします。
ただ一つ違うのはここに放射能あるというだけです。。
ここの場所の手前と先の何が違うのでしょう?
僕はこの先と僕が立った場所の違いを全く感じることができません。。
線量計だけがぴー!!ぴー!!と危険を伝えてくれます。
その度にぞっとしますし、胸を締め付けられます。。
浪江町にも行きました。
あなたの母校が危険区域に入り、子供達が通えなくなったらどういう気持ちになりますか?
この線量で大阪の約35倍。
驚くことにこの下の草むらに線量計を置くと倍以上になる。
それは大阪の約83倍。。
線量の高いところに行くとこんなものではないらしい。
浪江町駅前
ここは帰還困難帰還困難区域。町はゴーストタウンとなっている。
この町は映画の世界で実はつくられた世界なのかもなんて思うが紛れもない事実。。
なぜかというと4年の歳月で動物達のサイクルが一周していて、人間を見ずに育っているということ。
人が作った町で新たなことが生まれている。理解するのに少し時間が掛かった。。
先に見える煙突が東京電力福島第一原子力発電所
ここに滞在している時にずっと頭から離れない言葉がありました。
それは村上春樹さんが言ってた『15万の人々を踏みつけ、ないがしろにするような効率にどのような意味があるのでしょうか?』という言葉でした。
政府は今も尚再稼動に向けて、ベクトルを向けています。
本当に私たちはそれでいいのでしょうか?
もし私たちの故郷がこういったことに巻き込まれても仕方がないと言えるのでしょうか?
後悔しないのでしょうか?
自分達だけよければ、負の遺産を残してもいいのでしょうか?
日本が豊かになるためには目を瞑らないといけないのでしょか?
そもそも豊かさとはなんでしょうか?
間違いなく私たちが向き合わないといけないことがあると思います。
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